Weblog Hiroko - 今日のひとりごと

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『酒が年を教えてくれるのか』(2004年05月06日)

その頃、酒がうまいと思ったことはなかった。
「飲む」ことは騒ぐことだった。ひまな学生同士が車座になって安ウイスキーを流し込み、大声を上げたり吐いたりしたあげく、夜が明けると寝る。ただ、それだけだった。
外で飲む余裕もなく、うす汚れたアパートには当然のことながら女の子も寄りつかなかった。
勤めるようになると、「飲む」ことは仕事仲間と話しをする時間となった。
毎日夕方には仲間と連絡をとり合い、どこでだれと飲むかを決めた。経済が成長していた頃、仕事を終えてまっすぐ帰宅するものはなく、店を変え話を変え時間のあるかぎり飲んだ。ばか騒ぎをし、かたわらに女性がいることもないわけではなかったが、けっきょく仕事の話がいちばん熱く面白かったように思う。
一人一人に、活力があった。タクシーで帰りつぎの日仕事をこなして、夜はまた飲むというタフな時代だった。
そのうち仲間はそれぞれ相応の地位につき、家族が増えた。
家も遠くなり、明日を気にして終電に急ぐようになった。押さえて飲むということも覚えた。同時に、この時代は夫婦でワインという、ややつくられたトレンドではあるが、それもかろうじて受け入れた。
バブルの時代になると、ちょっとした店はすべて奇妙な若者であふれ、自分の時代の古さを実感する。落ち着く場所も少なくなり、帰宅がいっそう早くなった。そしてなによりもからだがもたなくなった。
時代が変わりバブルがはじけると、お金も続かなくなった。
年を重ねた男が一人、家で飲む。家族は妻と二人になった。騒ぐでもなく、深酒をするわけでもなく・・・・・・時間はたっぷりあるのだが、飲めば12時を待たずに眠くなる。それもこれも、酒が教えてくれる年齢だろう。
あの頃の男たちは、仕事仲間はどうしているか。
この頃、酒がうまいと思うようになった。

月間「新松戸」の「混沌、今昔」(13)文:三木カオス
2004年5月号より転載しました