Weblog Hiroko - 今日のひとりごと

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『揃っていないことの日本的な美しさ』(2007年09月13日)

暑い日が続きますが、やはり秋が近づいている事を感じることもチラホラ。
敷地内の栗の木も実りを見せており、写真のようにコンクリート上にイガが落ちてきています。
何かの本で読んだのですが、ある茶人(利休だったか忘れました)に弟子入りした人が居たそうで、来る日も来る日も庭の掃除ばかりさせられ、どんなにきれいにしてもお茶を教えてくれる気配が無く嫌気がさしていたそうです。そこでうっぷんを晴らすべく、掃除が終わった時に庭木をドンと叩いたところにお師匠さんが通りかかり「ようやく侘び・寂がわかってきたようだな」と、ハラハラと落ちている木の葉を見て言ったそうです。
ウチの栗のイガも、本当はきちんとはいて掃除した方がいいのだとは思いますが、こうして何個か落ちているのを見て、視線を上に上げ、ここにある木が栗の木だったのかと気づく人も居るでしょう。秋を感じる人も居るでしょう。きちんと掃き清められている美しさもありますが、掃き清められていない事の美しさもあるのです。ヨーロッパの器のような滑らかさもいいけれど、日本の焼き物のようなゴツゴツとした表面に凹凸のある器の美しさもいいものです。きれいに絵付けされた器の美しさもありますが、釜から出てきたときの色むらが美しい器というのもあります。
そして人間も同じこと。誰でも欠けているところ、足りないところがあり、それを補い合うからいいのであって、整いすぎていれば自分以外の人なんていらないわけです。
私の好きな絵本には、「まあるくて、欠けたところが無いと、コロコロころころスピードを上げて転がって、周りを見る余裕が無いけれど、僕は一部が欠けているからコロコロころころ転がれない。だから道端に咲いているお花を見たり、誰かと話したりする余裕があるんだ。そして僕の欠けたかけらを探すんだ。」というようなことを書いています。
自分の欠けた部分を埋める相手、会社にかけた部分を埋める人材。
「人を見て、人を選ぶ」とても難しい事です。そして選ぶ事は実は選ばれる事なんだと思います。だから真剣なのですよ。ホントに・・・。